豆本への招待 -岩越豆本とみちのく豆本を中心に

 

福島県立図書館では、8月3日から10月3日まで《豆本への招待》として、「岩越豆本」と「みちのく豆本」を中心に、豆本の展示を行いました。これは、先頃、当館が、本宮町在住の大沼洸(おおぬまこう)氏より、ご自身が作られた 幻の豆本 と言われている「岩越豆本」と、氏が所有されていた「みちのく豆本」、合せて約180冊のご寄贈を受けたことから、皆様へご披露の意味を込めて、企画したものです。

たいへん、可愛らしく、珍しく、貴重な図書の数々です。

当館が所蔵している豆本を中心に、豆本について述べてみます。

 

1 豆本

豆本とは超小型の本のことで、日本では10センチ位以下のものを、欧米ではミニュアチュア・ブックと呼び、6センチ位のものを言い、16世紀頃から流行し聖書やシェイクスピアの作品が豆本になりました。

世界最小の豆本は、日本の星野麻夫氏が、昭和55年に刊行した1.4ミリ四方の『蟻』で、若山牧水の童謡「蟻」と「汽車」を二十ページに収録しているそうです。

 

2 日本の豆本

日本において豆本の発生は江戸時代に婦女子向きに作られたもので、当時は芥子本・雛本とも呼ばれていました。

日本での隆盛のきっかけは、昭和28年札幌で創刊された「ゑぞまめほん」で、主宰者の佐藤与四郎氏は小樽新聞社の出身のため編集・印刷に精通しており、「武井武雄刊本作品」(通称・武井豆本)の会員に、縦9センチ・横7センチの瀟洒なものを作り配本しました。戦後書物に飢えていた時代でもあり、この豆本の誕生は愛書家の垂涎の的となり、これに触発されて、全国各地でその地方の名を冠した豆本が作られるようになりました。

豆本の版元は、愛書趣味の人が多く、装丁に趣向を凝らしています。営利出版でないところにも、豆本の魅力があるようです。ほとんどが会員制の限定出版で、会員は3百人程度が普通です。やがて会員になれない人のために、豆本を扱う専門店もでてきました。

「静岡豆本」を刊行していた小笠原淳氏は、昭和45年、静岡県藤枝市に「現代豆本館」を設立し、約6千冊の豆本を展示しています。

「古通豆本」(こつうまめほん)を刊行している日本古書通信社の『現代豆本書目』によると、会員制豆本の版元は昭和56年には60を超えました。

すでに終刊・休刊になった著名な豆本には「ゑぞまめほん」の他に、「えちぜん豆本」(福井県・青木隆)、「風流豆本」(東京都・岩佐東一郎)、「あかし豆本」(兵庫県・坂本勝)、「九州豆本」(大分県・水谷護)等があります。

 

3 福島の豆本

福島県内でも豆本が発行されました。

えびや豆本 会津復古会会員でもある会津若松市の鰻の「えびや」の四代目当主・大場良氏が、会津をテーマに、「えびや豆本」を自費出版しました。「えびや豆本は城下町会津のあまり知られていない史跡・名所を選んで紹介するものです。その中には美しい会津が色彩豊かに残っています。」とその中で語っています。昭和53年には8号『会津唐人凧』、10号『幻の檜原金山』が発行されています。

会津豆本 えびや豆本が私刊・非売品で手に入りにくかったため、えびや豆本の制作を手がけた会津若松市の発行所キャップが、えびや豆本を10号毎に合本し、出版しました。昭和54年には第1集、昭和55年には第2集、昭和60年には第3集、平成8年には第4集が発行されています。

[日新館豆本] 会津藩校日新館でも平成8年に『ならぬことはならぬ 日新館童子訓』を発行しています。えびや豆本、会津豆本、日新館豆本とも、会津若松市の横田新氏が制作に携わっています。

ふくしま豆本 昭和58年、福島豆本の会が、福島をテーマに、福島市の日進堂印刷所から発行しました。創刊号は飯坂温泉・鯖湖湯についての『サバコはどこだ』、第2号は『福島酒鑑』、第3号は『高橋由一の信夫橋ノ図』と刊行されています。

岩越豆本

本宮町にお住まいの大沼洸氏は、戦前戦後の混乱期について綴った小説や詩等を、平成4年から12年まで、8年の歳月を費やして24冊の豆本にしました。それらの作品は粋を凝らした装丁と意表をついた仕掛けに特徴があります。サイズは、マッチ箱位の物や指先に乗る位のもの等、芸術的です。二十冊から三十冊の限定出版だったため、コレクターの間では、「幻の豆本」と言われているものです。

「岩越豆本」の名前の由来

明治時代、郡山・新津間を走る鉄道を、岩代国(いわしろのくに)と越後国(えちごのくに)を結ぶことから、岩越線(がんえつせん)と言いました。後に磐越西線となる時に、本宮町を起点とする計画があったことから、岩越という言葉を後世に残したいと思い、岩越豆本と名付けたそうです。

大沼 洸氏

昭和5年、本宮町生まれ。4年間の教員生活の後、千葉県白浜で近海捕鯨に従事。後に本宮に戻り、郡山市の鉄工会社に60歳まで勤務。

「平成4年、学徒動員の空襲体験を書いた『ダダダダダ』を出したのが豆本作りの始まり。豆本なら人数は限られるが、全国にマニアがいるので後々まで大事にしてもらえると思った。表紙や挿し絵はマッチ棒で一枚ずつ描き、彩色もする。

第15集の『岩越妓情』の本を収めるケースは一見さりげないが、厚さ25ミリの鉄塊をくりぬいたもの。

第17集の『オキュパイドの黄昏』の仕掛けは、紙の外箱を開けると、鉄製の内箱、その中央に窓が切られ、本物のサンマの缶詰が入っている。豆本はその下にある。文章と深い係わりがある。読んで欲しい……」と語っています。

 

4 東北の豆本

みちのく豆本

昭和32年、酒田市の佐藤公太郎氏が趣味の出版物として創刊し、平成7年6月に130号(別冊と合せて150冊)を刊行し、38年間の歴史にピリオドを打ちました。

装丁者は創刊以来、佐藤十弥氏。二人とも明治40年生まれ。執筆陣は地元ゆかりの方々です。酒田・庄内・東北のことを主として取り上げています。

懐かしくて新しい、大正ロマンの香りがする美しい本の数々です。

「みちのく豆本」は刊行が38年間と長期に渡ったため、このシリーズの完揃を所蔵している人はあまりいないと言われています。貴重な図書の数少ない所有者であった大沼氏から、昨年当館がご寄贈を受けました。これは、大沼氏が「梅庵」こと蒐書家として知られている、『古書の楽しみ』等の著者でもある坂本一敏氏から、彼の死の直前に譲り受けたものだそうです。

緑の笛豆本 弘前市の蘭繁之氏が、昭和43年、緑の笛豆本の会の編集者となり、東北地方と文学者や芸術家等との関わりをテーマに、刊行を続けています。平成11年9月発行の第93期第371集『夢二・五題』では、竹久夢二と久米正雄、夢二が愛した福島の女性について記されております。当館では他に、『夢二と郡山』『啄木と会津』『古関裕而と福島』等、本県に関係するものを所蔵しています。

長木野の本 秋田県大館市の藤島和義氏が発行しました。昭和61には、本県の文学者草野比佐男氏が第13巻『老年詩片』を出版しています。

 

5 その他の豆本

こつう豆本 東京の日本古書通信社が、昭和48年から著名な文学者や図書のことを、主なテーマとして刊行しているシリーズで、平成12年11月には138号を発行しています。

HTBまめほん 北海道テレビ放送が、昭和45年から北海道をテーマに制作しているシリーズで、平成11年までに152冊を出版しています。

日本一ノ画噺 大正時代に東京のマルゼンやナカニシヤでは、巌谷小波等のお伽噺を豆本として出版しました。

当館には、ほるぷ出版が復刻した『ウラシマ』『カチカチヤマ』『ソガキヤダイ』『ザウノアソビ』があります。

センダックの絵本 1962年(昭和37年)アメリカの絵本作家モーリス・センダックはハーパー&ロウ社から四冊の絵本を豆本セットにして出版し人気を呼びました。日本でも昭和56年、冨山房が日本語に翻訳し「ちいさなえほんばこ」として同じ形で刊行しました。

 

6 まとめ

豆本は、貴重な地方出版文化の一端を担ってきたことがわかりました。これまでに出版された福島県に関する豆本で、当館が所蔵していないものについては、できる限り収集し、皆様にご利用していただきたいと思っています。

 

参考文献

  • 日本大百科全書(小学館)
  • 広報もとみや(平成12年11月号)
  • 文化福島315号(平成10年3月号)
  • 月刊誌スプーン(平成8年6月号)
  • みちのく豆本寄贈についての覚書