草野 心平(くさの しんぺい)

 

(1903年5月12日から1988年11月12日)

明治36年5月12日石城郡上小川村(現在のいわき市小川町)生まれ。詩人。

 

童話作家としての心平

心平が童話を書きはじめた事情は定かではないが、当時親交のあった宮沢賢治に触発されてのこと、と推察することができる。童話の第一作は、「停電」(『矛盾』昭和3年)という作品。

その後、昭和22年から23年にかけての2年間に10作品を書いている。この時期は、心平一家が終戦で中国から帰国し、郷里上小川の生家に疎開していたころである。詩誌「歴程」の復刊のために奔走する一方で、家族を養うため小川郷駅前に貸本屋「天山」を開いた。その店番のかたわら童話を書いていた、という。

 

作品:童話

雑誌等に掲載していた童話の中から9編を、童話集『三つの虹』(中央公論社 昭和24年刊)として発行している。書名にもなっている「三つの虹」は、貧しい炭焼き小屋の少年・千太の成長と栗鼠のプウとの心の交流を描く佳作である。この作品の中に、妹・冬子の作品としてあるいは千太の通うキットヤ小学校の校歌として、心平の詩が顔をのぞかせる。

 実際にも、母校の小川小学校や前橋市立第二中学校などの校歌の作詞をしている。また、「さようなら」という作品では、終戦後の中国から引き上げてくる家族と、飼っていた動物たちとの別れを描いている。

昭和52年には、この9編に「風船はあがりたくありません」と「象のように大きくなったウ吉」を加えた童話集『ばあばらぶう』(筑摩書房)が出版された。

変わったところでは、新潮社の「世界の絵本大型版 16」として『カンガルーの子』(昭和26年)という写真絵本に文を書いている。オーストラリアの写真家が撮った写真に、お話をつけたものである。クンクウとミリーと名付けられた二匹のカンガルーの子が、ブラウン君のもとで育てられ、やがて生まれた森へ帰ろうとするまでの物語である。文章全体がリズムを持ち、まるで詩のようである。

他にも、昭和27年前後の観察絵本『キンダーブック』(フレーベル館)に、詩や短いお話が掲載されている。

 

作品:詩

少年少女向けの詩集として昭和59年に『げんげと蛙』(教育出版センター)が出版されている。心平は生涯に単行詩集だけでも約40冊を世に出している。これは、その中から編者のさわたかしが、子どもたちに読んでほしいもの、比較的わかりやすいものとして選んだ詩集である。

また、小学校の教科書にも詩「春のうた」「たんぼ」などが取り上げられている。自然や人への想いが、時には優しい、時には厳しい言葉となって現れている。年齢を経るにつれ、故郷への想いが変化し、自然をうたう詩は故郷小川の原風景と重なるところが多い。

草野心平といえば「蛙の詩人」と冠されることが多い。しかし、生涯を通しての全作品・全活動をみると、決してそれだけにとどまることはない。多くの人々との交流の中で、詩作に励んだ人生であった。

 

参考文献

  • 『草野心平研究序説』深澤忠孝 教育出版センター
  • 『無限』28特集草野心平 政治公論社
  • 『草野心平』いわき市立草野心平記念文学館 他

(振興課:佐藤加与子)