朝河貫一資料

 

福島県二本松市生まれの国際的歴史学者・朝河貫一(あさかわかんいち)(1873-1948)。

明治維新後間もない時代にアメリカへ留学し、世界を股にかけ活躍した彼が遺した資料は、当館特殊文庫「朝河貫一資料」として保存されています。彼の生涯・功績と「朝河貫一資料」についてご紹介します。

 

Ⅰ.朝河貫一ってどんな人?

1.誕生から学生時代

朝河貫一(以下朝河)は1873(明治6)年12月20日、旧二本松藩士朝河正澄(まさずみ)の長男として誕生。幼い頃より勉学で優秀な成績をおさめ、福島県尋常中学校・(のちの安積高校)東京専門学校(のちの早稲田大学)をトップの成績で卒業します。

中学時代からアメリカ留学の夢を抱いていた朝河は、大隈重信(おおくましげのぶ)勝海舟(かつかいしゅう)らの援助を得て渡米。ダートマス大学・イェール大学に学び、博士号取得の後、大学講師の職を得ました。

貫一
貫一
父:正澄
父:正澄
継母:ヱヒ
継母:ヱヒ

2.日露戦争開戦~ミリアムとの結婚・死別

1904(明治37)年2月、日露戦争が開戦。朝河は同年10月『The Russo-Japanese Conflict』を出版し、日本の正義を英米の国民に説くとともに、研究のかたわらアメリカ各地で日本の立場を弁護する講演を行います。

そんな多忙を極める中、朝河は大学時代に知り合ったミリアム・J・キャメロン・ディングウォールと結婚。時は1905(明治38)年10月。朝河は31歳、ミリアムは26歳でした。

しかし、2人の結婚生活はミリアムの病死により、わずか8年で終わることとなります。ミリアムと死別した後、朝河は生涯独身でした。

妻:ミリアム・朝河
妻:ミリアム・朝河

3.「入来院文書(いりきいんもんじょ)」研究

1917(大正6)年7月、朝河は帰国し、東京大学史料編纂所において日本の中世史料を研究します。その中でも鹿児島県薩摩郡入来村の文書に関心を持ち、現地まで出向いて丹念な調査を行いました。

2年間に渡る調査の後更に10年の歳月をかけてまとめられた著書『The Documents of Iriki』は高い評価を受け、朝河の名声を世界的に高めることとなります。

パスポート写真
パスポート写真

4.故国への警鐘(けいしょう)~日米開戦阻止運動

1931(昭和6)年9月の満州事変勃発(ぼっぱつ)以降、日本は戦争への道を突き進んでいきます。この状況を心配した朝河は、日本の有力者や友人に対し厳しい忠告を送りますが、軍部の暴走は止まらず、日米開戦が目前に迫っていることは火を見るより明らかでした。

何としても日米開戦だけは阻止せんと、朝河はわずかな望みに賭けます。

アメリカの有力者に働きかけ、フランクリン・ルーズベルト大統領より昭和天皇への親書送信を働きかけたのです。朝河自身も草案を執筆したこの親書は東京へ届けられますが、親書が到着したまさにその日、日本軍による真珠湾攻撃が開始。朝河の平和への想いは届かず、太平洋戦争が開戦します。

5.戦時中の暮らし~晩年

日米開戦後、アメリカ国内に住んでいた日本人の資産は凍結され、在米日本人はもちろん日系アメリカ人までが強制収容所に拘留(こうりゅう)されました。しかし、この頃すでにイェ-ル大学の教授となっていた朝河は、その学問の功績から研究と行動の自由が保障され、戦争前と変わらず研究を続けられました。

1945(昭和20)年8月の日本敗戦は朝河にとってもショックな出来事でした。友人宛の手紙では日本の未来を心配し、再び民主国家として立ち上がることを祈っています。

朝河は定年退職後も研究活動を続けますが、1948(昭和23)年8月11日バーモント州ウェスト・ワーズボロの山荘で、心臓麻痺のため74年の生涯を終えます。訃報(ふほう)は世界中に知らされ、「現代日本がもった最も高名な世界的学者が亡くなった」と伝えられました。

友人たちとの談笑
友人たちとの談笑
墓碑(アメリカ・コネチカット州)
墓碑(アメリカ・コネチカット州)
 

Ⅱ.朝河貫一年譜

朝河の人生を年表にしました。より詳しく朝河の人生について知りたい場合、下記のリンクをご覧ください。

 

Ⅲ.県立図書館「朝河貫一資料」について

1.なぜ書簡(しょかん)(手紙のこと)が残っているの?

朝河が受け取った書簡や送った書簡がこれほど多く残っているのには、朝河の「記録魔」たる性格が影響しているようです。

届いた書簡には受け取った日付がメモされていたり、その内容が自分の日記に記されていたりしています。さらに送る書簡は手書きかタイプにより下書きし、見直しをした上で清書していたので、これらのコピーが手元に残っていました。また日記にもその内容が書き写されています。

朝河はその生涯を終えるまで、これらの書簡や下書き、さらには日記などを大切に保存していました。

朝河の通ったイェール大学スターリング記念図書館(撮影:甚野尚志氏)
朝河の通ったイェール大学スターリング記念図書館
(撮影:甚野尚志氏)

2.遺品が日本へ

朝河が亡くなった後、イェール大学は定年のときに寄贈された残りの蔵書と英文の書簡・草稿類を除いた遺産や遺品、日本語で書かれた書簡類の正当な後継者を求め、アメリカ・ニューヘイブンの遺産相続裁判所に調査を依頼しました。

調査により日本に朝河の親せきに当たる方たちがいることが分かり、1949(昭和24)年5月、福島県伊達市月館に住んでいた(おい)の斎藤金太郎氏に連絡がありました。

1953(昭和28)年に遺品が届くと、その中には坪内逍遥(つぼうちしょうよう)徳富蘇峰(とくとみそほう)渋沢栄一(しぶさわえいいち)など、明治大正昭和に渡る著名人からの書簡など貴重な資料が含まれていました。

その後、1953(昭和28)年9月に東京日本橋の三越本店で開催された福島県観光物産展の場で「朝河博士顕彰遺品展」が開かれ、福島県が生んだ世界的偉人として紹介し、関係文献を含め遺品が公開されました。

ダートマス大学名誉文学博士称号証状(「朝河貫一資料」より)
ダートマス大学名誉文学博士称号証状(「朝河貫一資料」より)

3.どうして福島県立図書館に?

アメリカから贈られた遺品の所有者である斎藤信夫(さいとうのぶお)氏(金太郎氏の息子)や東京大学名誉教授を勤め朝河の生涯を描いた『最後の「日本人」』の著者である阿部善雄(あべよしお)氏らの研究者の間で、これらの貴重な資料を公的な機関で保存・保管するよう検討されていましたが、1981(昭和56)年になり、福島県に打診があり当館が受け入れ先となる方向で話し合いが始まりました。

1984(昭和59)年3月 正式に寄贈の手続きが終わり、現在の森合の地に移転する当館の新館落成記念の目玉として7月22日から1ケ月に渡り「朝河貫一博士展-福島と二つの祖国-」を開催し「朝河貫一資料」としてお披露目を行うことになりました。

コレクションは、大きく4つに分けられます。

  1. 斎藤家伝来の朝河貫一関連資料
  2. イェール大学より遺品として贈られた和文書簡
  3. 阿部善雄氏を通じて追加された英文書簡
  4. 当館で斎藤家以外の遺族により寄贈を受けた和文書簡

当館では、その後コレクションの整理に着手し、1992(平成4)年に目録を作成しました。さらに、イェール大学で所有する資料をまとめた『Kan'ichiAsakawa Papers(マイクロフィルム版)』を購入、1996(平成8)年には書簡類をCD-ROMに収めるなどコレクションの活用と保存をしてきました。

朝河のパスポート(「朝河貫一資料」より)
朝河のパスポート(「朝河貫一資料」より)

4.書簡をやり取りした人々は?

朝河と書簡を交わした人々は、大きく6つのグループに分けられます。

(1)父母・親族や少年時代からの友人たち

両親や親族とのやり取りに加え、安積中学校からの友人・高橋春吉(たかはししゅんきち)氏らの書簡があります。

(2)恩師や学友・同僚たち

東京専門学校の恩師坪内逍遥(つぼうちしょうよう)やダートマス大学学長のタッカー氏、G・G・クラーク、詩人で女優のグレッチェン・ウォレン、教師としての同僚たちです。

(3)研究者たち

アメリカのウォーナー、イギリスのサムソン、フランスのブロック、ドイツのヒンツェなど専門家や研究者たちに留まらず、徳富蘇峰(とくとみそほう)や東京大学の辻善之助(つじぜんのすけ)など日本の歴史家たちとの交流は著書や論文の大きな背景となっています。

(4)日本の政治家・外交官・教育者たち

大隈重信(おおくましげのぶ)鳩山一郎(はとやまいちろう)などの政治家や外交家たちには、日本は国際的な立場を考えて動いてほしいという自分の考えを伝え、お互いに情報を交換したり日本の資料を集めて送ってもらったりしていました。

(5)交際をしていた女性たち

ダイアナ・ワッツやクリスチャンのベラ・アーウィン、マリオン・V、グレッチェン・ウォレンなど、彼女たちに宛てたものには、信仰や愛、友情や学問について語っていることが多く、朝河の心情や人間性を知ることができます。

(6)その他

国際補助語運動家アリス・V・モリスとのやり取りや、出版社との交渉など様々な相手との書簡があります。

大隈重信
大隈重信
坪内逍遥
坪内逍遥

(国立国会図書館「近代日本人の肖像」より)

※ⅠからⅢ 主要参考文献

『朝河貫一書簡集』(朝河貫一書簡編集委員会/編,朝河貫一書簡集刊行会,1990)

 

Ⅳ.「朝河貫一資料」目録

「朝河貫一資料」の所蔵目録(PDFファイル)です。本目録は当館発行の『朝河貫一資料目録』(1992)を、早稲田大学文学学術院教授・甚野尚志氏の協力を得て全面改訂したものです。

※この資料目録の改訂版を権利者の許可なく複製、転用、販売などの二次利用することを固く禁じます。

 

Ⅴ.「朝河貫一資料」展示セット貸出について

当館では「朝河貫一資料」の一部についてレプリカを作製し、展示セットとして図書館等の施設へ貸出しています。詳しいご案内は下記のリンク先をご覧ください。

 

Ⅵ.当館実施の関連事業

平成30年度「朝河貫一没後70年記念事業」

博士の没後70年を記念し、企画展示や記念講演等の各種事業を実施しました。詳しい事業内容は下記リンク先をご覧ください。

令和元年度「朝河貫一博士から学ぶふくしまの未来事業」

講演会を実施し、関連して展示を行いました。詳しい事業内容は下記リンク先をご覧ください。

令和2年度「朝河貫一博士から学ぶふくしまの未来事業」

講演会を実施し、関連して展示を行いました。詳しい事業内容は下記リンク先をご覧ください。

令和3年度「朝河貫一博士から学ぶふくしまの未来事業」

講演会を実施し、関連して展示を行いました。詳しい事業内容は下記リンク先をご覧ください。

令和5年度「ふくしまを生きる講座」(第2回「朝河貫一博士生誕150年記念講演会 朝河貫一と平和の追求―『日本の禍機』から『大統領親書草案』へ―」)

講演会を実施し、関連して展示を行いました。詳しい事業内容は下記リンク先をご覧ください。

 

Ⅶ.関連リンク

朝河の通った旧福島県尋常中学校本館(国指定重要文化財)を利用し県の中等教育関連資料を展示しています。朝河関連の常設展示もあります。

出身地・二本松市の特集ページです。