福島の児童文学者 29 古関 裕而

 
福島市大町に生まれる。生家は呉服屋「喜多三」、本名は勇治。ペンネーム「裕而」を名乗るようになったのは18歳頃からである。
「長崎の鐘」やNHKドラマ「君の名は」の主題歌などの作曲で知られる古関裕而の児童文学や子どもとのかかわりについて考えてみる。

子供向けの作品
大正7年(1918)に鈴木三重吉主宰で童話雑誌『赤い鳥』が創刊された。この雑誌は、この年小学校3年生になった裕而に大きな影響を与えた。担任であり唱歌とつづり方の担当でもあった遠藤喜美治先生は、子どもたちに童謡を作らせるほど熱心な先生だった。そのため、音楽に限らず創作活動が盛んに行われていた。
裕而による児童文学は世に出版という形では生まれていない。しかし、福島商業高等学校在学中の大正13年に創刊された生徒会誌の「学而」に創作物語を掲載したとされている。齋藤秀隆氏著の伝記『古関裕而物語』によると、題名は昔話「五色沼」という作品である。

信夫野の里に住む長者夫婦には長年子供がなかった。そこで夫婦は氏神様に祈り、望んで生まれてきた男の子に「小金丸」と名をつける。小金丸は、元気に賢く育ち15歳になった。働き者で、近隣に知らない者のいないほど名を広めた小金丸だが、次第にその元気をなくしていった。

もう助かる見込みがないほどやせ衰えた小金丸が、最後の望みとして長者夫婦に告げたのは「吾妻山に登り沼を見たい」というものだった。人々の助けを借り、願いどおり沼に着いた小金丸はその中に身を投じた。すると沼の中から金龍が現れ、「自分は神の使者としてこの世に使わされた。今もとの体にもどり、天に帰るまでこの沼に住む。日照りの時には沼に石を投げると雨を降らす。」と告げ沼に帰っていく。

その後、この沼は毎日、赤・青・緑・黄・紫の五色に色を変え「五色沼」と呼ばれるようになった。

子どもたちの応援歌

終戦後の昭和22年、戦争で被害にあった子どもたちを元気づけようと放送されたラジオドラマ「鐘の鳴る丘」では、主題歌「とんがり帽子」をはじめとする音楽を担当した。特にオープニングテーマは、「単純で印象的で、この音を聞いただけで、子供たちがラジオの前にとんでくるくらい引きつけねばならない」*1という意気込みで作られたという。

その後、昭和26年から放送された「さくらんぼ大将」は、田舎の子どもたちが主人公という設定で、裕而の推薦した「伊達郡茂庭村(当時)」がその舞台として選ばれた。せりふは裕而が、福島独特の方言に直したという。

裕而は、全国の小中学校から大学の校歌や応援歌など様々な曲を作っている。特に、日本中に知らない人はいないであろう「栄冠は君に輝く」は、第二次世界大戦中に中止されていた全国中等学校野球大会が、昭和23年に全国高等学校野球選手権大会として再開されることを記念し、作成されたものである。この曲は、その後毎年開会式で大合唱される、全国の高校球児への応援歌である。

古関裕而記念館の調査では、裕而が作曲した校歌・応援歌の数は、福島県内では101校、全国では300校を超えるといわれている。県内は、出身地である福島市近辺のみならず会津や浜通りの学校からの依頼も受けている。

 昭和54年に福島市初の名誉市民として表彰され、昭和63年11月には福島市入江町に「古関裕而記念館」がオープンしたが、翌平成元年8月18日死去。

参考文献
『古関裕而 鐘よ鳴り響け』日本図書センター:刊 1997.2 (人間の記録18)
『古関裕而物語 昭和音楽史上に燦然と輝く作曲家』齋藤秀隆:著 歴史春秋社 2000.7

*1 『古関裕而 鐘よ鳴り響け』173pより
 
〈児童図書研究室 佐藤加与子〉