福島の蔵書印 その33 関場不二彦の蔵書印

 

明治時代の北海道医学界育ての親と賞讃されている関場不二彦は、慶応元年(1865)に会津若松で呱々の声をあげた。関場家は代々会津藩の藩士の家柄で、祖父は戊辰戦争の際に鶴ケ城を守って戦死した。明治3年に父たちと共に斗南藩(青森県)へ移住、後に東京へ転居した。東京帝国大学医科大学を卒業、公立札幌病院長として赴任したが間もなく職を辞し、私立の北海病院(後に北辰病院と改称)を開設。欧米にも留学し外科医として名声が高く、北海道医師会を設立して会長に就任するなど、北辺の地における近代医療の普及に彼は生涯、力を尽くしたのである。

不二彦は理堂と号し、和漢洋の学に通じて文筆にも秀でていた。『北海医報』を発行して自ら毎号論文を寄稿、また、同志を糾合して札幌人類学会を結成し、アイヌの研究にも傾注した。彼の著書『あいぬ医事談』はアイヌ民族の医療衛生に関する初の専門書として、不朽の名著と評されている。他に、コロポックル伝説や古代文字に関する研究論文なども残しており、その博識が窺われる。昭和14年(1939)に札幌市で病没した。

歿後、彼の主要論考と業績をまとめた『関場理堂選集』(金原出版 1966)が刊行されている。同書によれば、不二彦は自宅の書庫を獺祭魚書屋と称し「我文庫の棚架に安置する一萬六七千の書籍には分類別は無いが、然し多年の裡に自ら史類、詩文集、医書等は分類されて排列してゐる。又、医書類にしても、史類にしても新古、和漢洋各自其排置が一定してゐて捜索に困難は無い」と書き残している。

上に示した蔵書印は縦4.4cm、横3.3cmの朱印で『早稲田大学図書館紀要』45号(1998)掲載の印譜紹介記事から転載した。同図書館で所蔵している不二彦旧蔵洋書に捺されていたもので、字体と文字の配置の調和が絶妙の美しい印である。

〈一般資料チーム:菅野俊之〉